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2010年9月

2010年9月 9日 (木)

自由なところ

久々に鈴木亜紀のライブにいった。

強くのびやかで、開放されていて、

心に優しく響く歌声だった。

となりにいる御大に、鈴木亜紀の歌のどこが好きか聞いてみた。

「自由なところ」

御大が言った。

そうだな、と私も思った。

歌いたい歌を歌う

ありのままの自分を歌にする

行きたいところへ旅をする

感じたままを伝える

人からの見られ方に捉われない

一番愛するものを愛する

いろんな自由がつまっている。

そんな自由にふれて、

勇気をもらって帰る。

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2010年9月 7日 (火)

10年前の日記

使っていないノートないかなーと

本棚にあるノートをぺらぺらめっくっていたら

10年前の日記が出てきた。

おそろしく

こっぱずかしい。

そのころは、たぶん人生で一番迷い、荒れていた。

あいたたた。

ああもう、ほんとに痛い痛い。

そのころは、ニュージーランドから帰国して、

その先何をしたらいいのかわからずに、

バイトしたり、

しなかったり、

友だちとお酒を飲んで泥酔したり、

恋をしたり、

逃げたり、

自分を心配してくれる人をののしったり

泣いたり

していた。

心配してアドバイスしてくれる友だちを

「この人は、私のことをばかにしている。見下している」

「この人は、私のことを否定している。心がせまい」

「この人は、心の壁が厚くて、本心を語っていない」

などと言っている。

私を心配して、

言うべきことをはっきりと言ってくれた友だちの言葉は、

その時の私には、まるで鋭いトゲのように感じた。

だから、10年前の私は、

その言葉が心に届いていないと

思っていたけど、

ほんとは、届いていたんだ。

だって私は、今こうして、道を(あんまり)それずに、

幸せに生きることができている。

その時もらった言葉の意味を、

今はちゃんと受け止められる。

頭が理解するのは、

いつも心に届いたずっと後なんだ。

ともだちに、ほんとに感謝。

ちなみに、その時の私は、

ニュージーランドから帰って半年、

そのあと、どうやって生きていくのかを

ものすごく悩んでいた。

有機農業、占い師、整体師などの選択肢があった。

でも、すぐに仕事にできなくて、

先がこわくて、

一歩踏み出すこともこわくて、

結局また何かを探しに、長旅に出たわけだけど

(なぜか一人でインドに行くことはこわくなかったという不思議・・・。

今となっては、こわくてさみしくて、できなそう。人は変わるもんだ。)、

その頃から、

趣味で人の手相をみて、

「あなたは手相を見ながら、違う何かをリーディングしているように思う」

とか

「スピリチュアルなことを仕事にすれば、それはほんものになる」

などと、その筋の人に言われたと、日記に書いている。

そういう言葉が、後の自分に、

何かしらの自信を与えてくれたのかもしれない。

パズルのピースのかけらを

一生懸命、集めていたんだなあと思う。

10年前の私、いとしいぞ!

10年前の私は、たぶん消えてなくなっていなくて、

私という存在の一部なんだと思う。

だからやっぱり、

人の同じようなやるせない部分にふれた時、

いとしく感じるのだと思う。

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2010年9月 3日 (金)

ひまわり

Himawari

今日も朝から暑いです。

カレンダーの挿絵は、もうもみじなのに、

まだまだひまわりが似合う陽気です。

でも、蝉の鳴き声がパタリと止んでしまった。

少しさみしい。

夜は鈴虫の鳴き声が聴こえるようになった。

どこかしっくりこない秋の気配。

しっくりくるようになったときには、

ものすごくさみしいんだろうなあ。

夏に始めたサーフィンは、

なんだかんだでまだ2回しか行けてないけど、

肌の色は10回くらい行ったかのような…。

そうそう、2回目で、一瞬だけど立てた!

夏の大収穫。

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